なにかが見えてくる
おじさんの戯言 (たわごと)
ゆとり教育

おじさんはゆとり教育大いに賛成なのだ。ゆとりなくして創造的なことは何も できない、と考えている。そこにゆとり教育見直し論である。ナニ〜〜!!!!お じさんは怒り心頭である。次の瞬間、テレビに向かってぶつくさ言いながら、 誰に対して、何を書くでもなく、思わずペンを取っていた。しかし、おじさん は理屈は苦手なのだ。それを忘れてしまっていたのだ。いつものようにぶつく さ言うだけにしておけばいいのに、それに気づくのが遅すぎた。いかにもおじ さんらしい。理屈で自分の行動を制御できない。怒りを感じるままにペンを取 ってしまったのだ . . . . . .
---------------
最近、子供のいわゆる世間で言う学力の低下が目立つので、ゆとり教育を見直 そう、土曜日にも授業を、という動きがあるようだが、本当にそれでいいのだ ろうか。ゆとり教育が諸悪の根源のように言われているが、本当にそうなのだ ろうか。ゆとりがあるからこそ自分自身の本当の勉強ができるのではないだろ うか。

そもそも本来「学力」とは何なのだろうか。広辞苑によると、「学問の力量」 とある。すなわち、「学ぶ力」である。自分で自主的にものを学ぶ力である。 そもそも日本ではそのような力をつけるような教育が行なわれてこなかったの で、学力の向上もなければ、学力の低下もない。それで学力の低下を嘆くのは 理解に苦しむ。いわゆる世間で言う学力とは学校の成績、薄っぺらな知識の量 を言うのであろうが、本来の学力の重要性と比べると、足元にも及ばない、ち っぽけな、取るに足らないものである。そのようなものにばかり気を取られて、 本来の学力に目を向けていないのが、残念ながら今の日本の現状である。

問題は、大量の知識を与える(詰め込む)ことに終始していた日本の教育方法 にある。与えられたものをただただ覚えるよう教えられ、それを勉強だと思い 込み、そのような方法でしか勉強できない子供たちには、ゆとりで生まれた時 間を利用して、自分自身の本当の勉強をするためのすべもわからないし、その ようなことすら思い浮かばない。

これは子供たちだけでなく、親もそうである。親も子供も、与えられたものを 覚えることが勉強だと誤解し、ゆとりとして生まれた時間に自分自身の自主的 な勉強をするのではなく、さらに人から与えられるものを求めて、塾などに出 かけていき、与えられるものを詰め込むだけの勉強に終わってしまう。そして、 本当の勉強というものを完全に見失ってしまい、いわゆる世間で言う学力の低 下をまねく。知識の詰め込みで学力の向上など望めない。

自分から自主的に勉強する対象を見つけて取り組むことによって初めて、本当 に身につく勉強ができるのだ。そのためには、時間的にも精神的にも、ゆとり が必要だ。与えられるものを処理するだけで時間を使い果たし、自分の時間が なくなるような、時間のみならず、気持ちの上でもゆとりのないような状態で は自主的な勉強ができようはずがない。自主的な勉強ができる時間があり、自 主的な勉強をする姿勢があって初めて、本当の勉強ができるのだと思う。

ゆとり教育推進でそういう時間はできたが、そういう姿勢が育まれていなかっ た。そのため、生まれた時間をどう使ったらいいかわからず、再び与えられる ものを求めて塾などへ向かい、結局、自主的な勉強の機会を与えられながらも、 それを有効に、有意義に活用することができず、現在に至っていると思う。

そして、ここにきて、ゆとり教育見直し論である。そこに日本の教育の未熟さ を感じる。日本の教育の本質の欠陥に気づけば、このような議論など起こるは ずがない。子供に知識を与えるだけで、考えさせようとしない。その結果、子 供たちは自分で考えようとしない。模範解答だけを執拗に求めて、自分で考え、 自分なりの答えを導き出そうとしない。世の中、模範解答ばかりではない。人 それぞれいろんな解答があっていいのだ。子供たちには、模範解答に頼らず、 自分なりの答えを、自分なりに導き出してほしい。

しかし、残念ながら、自分で考える習慣をつけてもらっていない。与えられた 結果(知識)だけをやっきになって詰め込むことだけを教えられ、どうしてそ のような結果になるのか(結果が導き出される過程)、なぜなのかということ を自分の頭で考えることを教えられていない。これが日本で長年行なわれてき た、結果偏重、過程軽視の日本の教育である。言うまでもなく、結果よりも過 程の方が大事なのだ。過程が理解できれば、自ずと結果など難なく導き出され てくる。誰が考えてもわかることである。

ゆとり教育見直しによって、時間的にも精神的にもゆとりがなくなり、与えら れるものを処理するだけに終始してしまうことになり、自分で自主的に自分の 興味のある事柄を学ぼうとすることができず、「ゆとり」というのが本来の 「学力」をつけるのによい機会であるにもかかわらず、結局、本当の「学ぶ 力」というものを身につけることができず、世間一般で言うところのいわゆる 学力(学校の成績、薄っぺらな知識)が向上せず、その原因を見誤って、本末 転倒のゆとり教育見直し論が起こり、最悪の悪循環に陥ることになり、日本の 教育はその悪循環の中で、出口を見つけることができずに、いつまでももがき 続けることになる。
---------------
と、ここまで書いたところで、おじさん自身も少しでも論理的な文章を書こう ともがき苦しんでいる自分に気づいたのだ。おじさんは理屈はきらいだ。論理 的な思考も苦手なのだ。おじさんはおじさんなりに懸命に文を綴ったが、どう も据わりの悪い文章になったようだが、それがまたおじさんらしいのだ。おじ さんらしくていいのだ。おじさんは理屈が苦手なのだ。
(2007)


戻る