なにかが見えてくる
おじさんの戯言 (たわごと)
昔の同僚

おじさんはもう定年間近の年である。思えばこの年まで一貫して体制側に反発してきた。別に反発したくて反発してきたわけではない。反発のための反発では決してない。共に協力し合えるようであれば、そうするのはやぶさかではない。しかし、管理職側は一般職員及び一般顧客を人間と思わない、いや、屁とも思わないような施策ばかりを打ち出してくる。そのような者たちに協力などできるはずがない。管理職と一般職員の垣根をなくし、両者が話し合って共に協力し、良い方向に持っていこうとすることができれば、そうしていた。実際、そういう施策に関しては、共に働いたこともあった。しかし、そういうものはごく稀で、ほとんどの施策は、一般職員を一人の人間として尊重するようなものではなく、組織を自分たちの都合の良いように運営するための道具ぐらいにしか考えていないようなものだ。だから、おじさんは若い頃から一貫して、管理職側の考えに異議を唱え、反旗をひるがえしてきた。昔はそういう同僚が多かった。

そうした昔の同僚も、どういうわけか 、年をとるにつれて、体制側に寄り添うようになり、今では完全に体制側の一員と化している者も少なくない。昔の同僚の顔を思い浮かべると、そのように寝返ってしまった者が何と多くいることか。体制側の体質が変わったわけではない。むしろ、どんどん悪化している。寝返った者たちは、その体質を変えようとするでもなく、ただ昔から変わらない体制側の体質にすんなり溶け込んでしまっている。一般職員や一般顧客のためにその体質に反発していた者たちが、その体質を変えようとしているのではなく、今度はその体質を自らの手で一般職員に押し付けようとしているのである。何と悲しい者たちだろう。

年をとるにつれて、退職金の計算式、いや世渡りの計算式が頭の片隅にちらちら見え隠れするようになってきたのだろうか。おじさんはそのような計算はしない。自分の考え、自分の気持ちに正直に発言し、行動する。それがおじさんなのだ。
(2008)


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