なにかが見えてくる
おじさんの戯言 (たわごと)
ユニセフ募金

おじさんは、ボーイスカウトの活動で、年末に小さな子どもたちと一緒にユニセフの募金活動を行なった。寒い中近くの駅前に立って、道行く人に募金を呼びかけた。幼稚園や小学校の子どもたちと寒風の中、「ユニセフ募金にご協力お願いします」と懸命に大きな声で呼びかけ、協力してもらった人に対して、「ありがとうございました」とこれまた嗄れんばかりの大きな声を張り上げて、きちんとお礼のことばを忘れない。そういった純真無垢な子どもたちの姿がおじさんは大好きだ。おじさんも子どもの頃はそうだった。そして今この年になって、そういう純粋なものにやたらと心が惹かれるのである。

おじさんも子どもたちの後ろで、同じように呼びかけ、同じようにお礼を言うのだが、どういうわけか子どもたちの一生懸命な姿に打たれて、声が詰まることがしばしばであった。このように純真無垢で一生懸命な気持ちをいつまでも持ち続けてほしい。多くの人が大きくなるにつれて忘れがちなこの気持ちをいつまでも忘れずにいてほしい。おじさんは心からそう願うのだ。そして一人勝手に感無量になっているのである。

ところで、駅に急ぐ人々の意外と多くの人が快く募金に協力してくれた。子どもたちに「ご苦労さま」と優しいことばをかけてくれる人もいる。とても心が温かくなる光景だ。おじさんも子どもたちと一緒に「ありがとうございました」と大きな声でお礼を言おうとするのだが、その心温まる光景に胸が熱くなり、込み上げてくるものを感じ、声にならない。顔がくしゃくしゃになるばかりだ。おじさんは年とともに涙もろくなってきた。胸がキューンとなるような光景にはめっぽう弱い。

どのくらいの人が協力してくれただろうか。思った以上に多くの人が優しい微笑とともに募金箱に手を差し延べてくれた。街行く人のその善意におじさんは胸を熱くした。何とも言えない嫌なニュースばかりが目立つ昨今、まだまだ人の心はすさんでいない。まだまだ人の善意は健在だ。普段普通に生活していると、こんなに人の善意を強く感じることはないように思う。しかし、実際にはこんなに多くの善意が普通に街を歩いている。こんな善意の健在ぶりを実感できただけでもおじさんは感激である。

おじさんが小さい頃は、人を信じるようにと言われた。実際、知らない人でもその善意に甘えることができた。しかし今は、知らない人に話しかけられたら、用心して、決して一緒について行かないようにと、子どもたちに教えている。道を聞かれても、知らないと言って、その場を立ち去りなさいと教えている。おじさんが小さい頃は、知らない人が「ぼくかわいいね」と頭を撫でてくれ、飴やラムネをくれることがよくあった。そして、「ありがとう」と言って、喜んで口に入れたものだ。しかし今では、そんなことはとんでもない。子どもが持っているはずのないお菓子を持っていると、すぐ母親が飛んできて、「それどうしたの」「おじさんにもらった」「おじさんて誰」「知らないおじさん」「そんなのもらっちゃだめでしょ。食べちゃだめよ」と言って、子どもの手から奪い取り、捨ててしまう。知らないおじさんだというだけで、そのおじさんの善意が踏みにじられ、木っ端微塵に破壊されてしまう。まるで、子どもに対して悪事を働こうとする犯罪者扱いである。

おじさん自身もよく似た目に遭っている。小さな子どもが駅前で楽しそうにはしゃいでいるのを見て、「ぼくかわいいね。でも、自転車に気をつけてね」と言って通り過ぎた。すると、すかさず近くにいた母親が子どものところに飛んでやってきて、子どもに何やら話しかけている。もう離れているので声は聞こえなかったが、母親の表情などからして大体見当はつく。「どうしたの。何て言ってたの。知らない人と話しちゃだめよ。どこかに連れて行かれて、パパ、ママと会えなくなるわよ」といったところだろう。悲しいことだが、母親がこのように用心するのも無理もない。用心しなければならない状況が現にあるから。変なやからが多すぎる。警察の情報提供メールサービスに登録していると、「どこそこでひったくりがあった」とか「どこそこに刃物を持った男が現れた」とか「どこそこに変質者が現れた」とか、毎日大量のメールが届く。これにはただただ愕然としてことばを失ってしまう。どうしてこうなんだろうか。悪い事ばかりが目立ち、残念ながら、良い事がその陰に隠れてしまいがちである。おじさんはまだまだ健在である善良な市民の善意に積極的に目を向けて、毎日を送っていきたいと思うのである。
(2009)


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