なにかが見えてくる
おじさんの戯言 (たわごと)
心訓

娘が通っている教室で心訓なるものを教わってきた。それは、
一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。
一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。
一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。
一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。
一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。
一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。
というものである。

これは「福沢心訓」、「福沢諭吉翁心訓」、「福沢心訓七則」、「諭吉心訓」、「七則」などとも言われ、福沢諭吉の書いたものとされているが、実際には、諭吉の「ひゞのをしへ」の「おさだめ」をもとに、誰かが「心訓」としてまとめたものらしい。諭吉の「ひゞのをしへ」とは諭吉が自分の子供の一太郎と捨次郎のために毎日書き与えた教訓である。次にその一部を抜粋引用してみる。
ひゞのをしへ 初編
      おさだめ
一、うそをつくべからず。
一、ものをひらふべからず。
一、父母(ちゝはゝ)にきかずしてものをもらふべからず。
一、ごうじやうをはるべからず。
一、兄弟けんくわかたくむよふ。
一、人のうはさかたく無用。
一、ひとのものをうらやむべからず。
      十月十四日
 ほんをよんで、はじめのはうをわするゝは、そこなきおけに、みづをくみいるゝがごとし。くむばかりのほねをりにて、すこしもみづのたまることなし。されば一さんも捨さんも、よんだところのおさらへをせずして、はじめのはうをわするゝときは、よむばかりのほねをりにて、はらのそこにがくもんの、たまることはなかるべし。
      十月廿一日
 人には勇気(ゆうき)なかるべからず。勇気とはつよきことにて、物事(ものごと)をおそれざるきしやうなり。何事(なにごと)にても、じぶんの思込(おもひこみ)しことは、いつまでもこれにこりかたまり、くるしみをいとはずして、成(な)し遂(と)ぐべし。たとへば、ほんを一度(いちど)よんでおぼえずとて、これをすつべからず、一度も二度も十ぺんも二十ぺんも、おぼえるまでは勇気を振(ふる)ひ、なほつよくなりて、つとむべきなり。
      十月廿七日
 世(よ)の中(なか)に父母ほどよきものはなし。父母よりしんせつなるものはなし。父母のながくいきてじやうぶなるは、子供のねがふところなれども、けふはいきて、あすはしぬるもわからず。父母のいきしにはごつどの心にあり。ごつどは父母をこしらえ、ごつどは父母をいかし、また父母をしなせることもあるべし。天地萬物(てんちばんぶつ)なにもかも、ごつどのつくらざるものなし。子供のときより、ごつどのありがたきをしり、ごつどのこゝろにしたがふべきものなり。
      ○
 まいにちさんどのおまんまをたべ、よるはいね、あさになればおき、まいにちまいにち、おなじことにて、ひをおくるときは、ひとのいのちは、わづか五十ねん、いつのまにかはとしをとり、きのふにかはるこんにちは、しらがあたまのおぢいさん、やがておてらのつちとなるべし。そも/\、ものをたべてねておきることは、うまにてもぶたにても、できることなり。にんげんのみぶんとして、うまやぶたなどと、おなじことにて、あひすむべきや。あさましきしだいなり。さればいまひとゝなりて、このよにうまれたれば、とりけものにできぬ、むづかしきことをなして、ちくるいとにんげんとの、くべつをつけざるべからず。そのくべつとは、ひとはだうりをわきまへて、みだりにめのまへのよくにまよはず、もんじをかき、もんじをよみ、ひろくせかいぢうのありさまをしり、むかしのよといまのよと、かはりたるもやうをがてんして、にんげんのつきあひをむつまじくし、ひとりのこゝろに、はづることなきやうに、することなり。かくありてこそひとはばんぶつのれいともいふべきなり。
      ○
 てあしにけがをしても、かみにてゆはへ、またはかうやくなどつけて、だいじにしておけば、じきになほり、すこしのけがなれば、きずにもならぬものなり。さてひとたるものは、うそをつかぬはずなり、ぬすみせぬはずなり。いちどにてもうそをつき、ぬすみするときは、すなはちこれを、こゝろのけがとまうすべし。こゝろのけがは、てあしのけがよりも、おそろしきものにて、くすりやかうやくにては、なか/\なほりがたし。かるがゆへに、おまへたちは、てあしよりもこゝろをだいじにすべきなり。
      ○
 ひとのふりみて、わがふりなをせ。おまへたちもけふまでは、たべものにもきものにも、ふじゆうなかりしが、もしそのこゝろおとなしからずして、いやしきこんじやうをもち、ほんをもよまずして、むがくもんもうになることあらば、どんなりつぱなきものをきても、どんなおほきないへにゐても、ひとにいやしめられ、ひとにゆびさゝれて、こじきにもおとるはじをかくべし。

ひゞのをしへ 二編
      ひゞのをしへ 二へん
 とうざい、とうざい。ひゞのをしへ二へんのはじまり。おさだめのおきては六かでう、みゝをさらへてこれをきゝ、はらにおさめてわするべからず。
      だい一
 てんとうさまをおそれ、これをうやまい、そのこゝろにしたがふべし。たゞしこゝにいふてんとうさまとは、にちりんのことにはあらず、西洋のことばにてごつどゝいひ、にほんのことばにほんやくすれば、ざうぶつしやといふものなり。
      だい二
 ちゝはゝをうやまい、これをしたしみ、そのこゝろにしたがふべし。
      だい三
 ひとをころすべからず。けものをむごくとりあつかひ、むしけらをむゑきにころすべからず。
      だい四
 ぬすみすべからず。ひとのおとしたるものをひらふべからず。
      だい五
 いつはるべからず。うそをついてひとのじやまをすべからず。
      だい六
 むさぼるべからず。むやみによくばりてひとのものをほしがるべからず。
      ○
 てんとうさまのおきてともうすは、むかしむかしそのむかしより、けふのいまにいたるまで、すこしもまちがひあることなし。むぎをまけばむぎがはえ、まめをまけばまめがはえ、きのふねはうき、つちのふねはしづむ。きまりきつたることなれば、ひともこれをふしぎとおもはず。されば、いま、よきことをすれば、よきことがむくひ、わろきことをすれば、わろきことがむくふも、これまたてんとうさまのおきてにて、むかしのよから、まちがひしことなし。しかるに、てんとうしらずのばかものが、めのまへのよくにまよふて、てんのおきてをおそれず、あくじをはたらいて、さいわいをもとめんとするものあり。こは、つちのふねにのりて、うみをわたらんとするにおなじ。こんなことで、てんとうさまがだまさるべきや。あくじをまけばあくじがはえるぞ。かべにみゝあり、ふすまにめあり。あくじをなして、つみをのがれんとするなかれ。
心訓を含め、これらを読んでみると、考え方が古臭いと言う向きもあろうが、本当にその一言で片付けてしまっていいものだろうか。そういういわゆる古い昔の価値観が、まさに今の時代に求められているのではないだろうか。そういう価値観が欠けているから、今の学校で、今の社会で、多くの問題が山積しているのではないだろうか。心訓やひゞのをしへの他にも、以前に触れた十善戒や十戒なども、それぞれ違った背景を持っているものの、言わんとしていることは皆同様のことではないだろうか。昔からの価値観というのはいつの世でも大事にしたいものだ。

最後に、余計なことかもしれないが、おじさん自身の場合を考えてみることにする。

一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。
 おじさんは確かに一生涯を貫く仕事を持った。そしてもうすぐ定年を迎えようとしている。おじさん自身、だから楽しく立派なのかどうか分からない。"A rolling stone gathers no moss."「転石苔を生ぜず」という言葉があるが、二通りに解釈できる。一つは、苔を良いものと捉え、腰を落ち着けずに職を転々としていたのでは、何も身につかず成功しない、というもので、もう一つは、苔を悪いものとして捉え、一つの職にじっと留まっていたのでは、苔が生え新鮮さがなくなり、時代の風を受けて躍進することができない、というものである。日本での解釈は前者が一般的である。因みに、同じ英語を話す国でも、イギリスでは前者の解釈、アメリカでは後者の解釈が一般的なようだ。さて、おじさんの解釈は、そうだなあ、半々だろうか。

一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。
 おじさんは教養がないわけではない。かと言って、教養があるわけでもない。つまり、中途半端なのである。おじさんはかつて、芥川龍之介の「侏儒の言葉」よろしく、「僕の不幸は中途半端に教養のあることに存している」と書いたことがある。正しくそういう心境なのだ。

一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。
 確かにする仕事がなければさびしいものだ。しかし、ありすぎても困る。仕事の忙しさにかまけて、自分の人生、人生設計について先延ばし、先延ばしにしてしまう。そして結局、先延ばしにしたまま人生が終わってしまう、ということにもなりかねない。公人としての人生と私人としての人生を両立させたいものだ。人によっては公の部分と私の部分を区別せず、公私を一体化したような人生を送っている人もいるが、おじさんのような一サラリーマンには羨ましい限りである。たとえサラリーマンでなくても、おじさんは公私を区別せずに人生を楽しむことができるほど器用な人間でもない。せいぜい公私を区別して両方がうまく行くよう努力するのが関の山であろう。今までは公私の両立を目指してきたが、年をとって残された人生が短くなってくると、公より私の部分に重きを置きたい心境におじさんはなっている。

一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
 他人の生活を羨むような醜いことはおじさんはしない。裕福な人を羨んでも何にもならない。自分の心が貧しくなるだけである。自分に与えられた生活環境の中で、精一杯生きればいい。経済的に裕福でなくても、精神的に裕福な、心豊かな人生を送りたい。ぼろは着てても心は錦。これがおじさんの心情である。

一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。
 おじさんは人のために何かをしてあげて、それを恩に着せるなどということは決してない。でも、恩に着せはしないが、一言ありがとうと言ってもらえると大変うれしいものである。しかし、若い人と接していて、最近そういう経験がとみに少なくなっているのが寂しい。若い人といっても、おじさんが仕事上接する少年少女たちのことであるが、彼らは本当に人にとっての基本中の基本である「すみません」と「ありがとう」の気持ちを表すことがない。英語でも、いやどこの国のことばでも、"Excuse me." と "Thank you." が基本である。おじさんが学生の頃に、アメリカ人の友人が「ことばを流暢に話すよりも、"Excuse me." と "Thank you." がきちんと言える方が大事だ」と言っていたのを思い出す。しかし、そのことばを相手に求めてしまうと、恩を着せることになるので、あくまで自発的に誰の口からも出て、それが自然に飛び交っているような社会になればとおじさんは思う。

一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。
 どんなものにも、どんなことにも愛情を持ちたい。愛情を持って接すれば、どんなものでも、どんなことでも好きになれる。好きになれば、それを見たりしたりすると、どんな形であれそれに接すると、楽しくなる。そういう気持ちで毎日を送れば、毎日が楽しく、人生が楽しくなる。嫌なことなど無くなってしまう。特に対人関係については、良好な関係ができていない人に対しても、できる限り愛情を持って接するようにしよう。初めのうちは一方的になるかもしれないが、一方的にせよ、こちらから愛情を持って接していれば、次第に相手も心を開いてくるものだ。そして、相手の方もこちらに徐々に愛情を示すようになってくれる。聖書に「汝の隣人を愛せよ」とある。愛ほど美しくすばらしいものはない。愛の力を信じよう。

一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。
 うそをつくことはよくない。昔から「嘘つきは泥棒の始まり」だとか、「嘘をついたら閻魔さんに舌を抜かれる」だとか言って、嘘をつくことをたしなめたものだ。また、ワシントンの桜の木の話は正直を賛美するものである。基本的に嘘はよくない。しかし、逆に「嘘も方便」とも言う。場合によっては嘘も容認されるようだ。本当のことを言うと人を傷つけるような場合などは、あえて害のない嘘をつくこともある。おじさんは若い頃は「嘘も方便」というのがあまり分からなかった。ただ嘘は悪いものだと思っていた。確かに嘘がよくないのは間違いないのだが、年をとるにつれて、「嘘も方便」ということが少し分かってきたように思う。しかし、嘘はあくまでよくないのだが...

おじさんはこれら心訓七則を常に心の片隅に置きながら、残り短い人生を送っていけたらと思っている。
(2011)


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